2005年11月 8日 (火)

死に至る病④

誰にも迷惑をかけずに卒業しようと、九州にある通信制の学校に通うことにした。学費と生活費はアルバイトをして稼ぎ、住むところはルームシェアリングをして浮かす。卒業することが目的になって情けなかったけれど、バイトに勉強と忙しくてそんなことを後悔している暇はなかった。

この学校を卒業するちょっと前に、ストレスから十二指腸潰瘍で穴が開いてしまい、緊急手術をして入院することになる。入院している間にいろんなことを考え、死に至る病も完治できた。絶望は楽しむものなのだ。入院生活によって、僕の人生観はかなり変わったと思う。

人生は本当に暇で、たいした意味もない。暇だからこそ、ろくでもないことや小難しいことを考えてしまう。心にゆとりがなかった僕は、暇つぶしが下手くそだったのだ。

苦労は買ってでもしろというけれど、穏やかな生活が一番です。

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2005年11月 6日 (日)

死に至る病③

アパートから車で1時間ほど行ったところにある倉庫が職場だった。ベルトコンベアーから流れてくるスポーツ用品をコンテナに振り分け、それをトラックに積み込むのが仕事だ。スキー用品が特に重くて、本当に腰が折れそうになる。会話する相手もいなく、深夜まで黙々ときつい仕事をこなすのみの、地獄のような毎日だった。

一番辛かったのは休日だ。部屋にテレビもなく、かといって外に遊びに行く金もない。「なにをやってんだろう、俺」ドロップアウトした現実を痛感した。電車に乗った時に、同じ年頃の学生が楽しそうにしているのを見ては泣いたことを覚えている。

悪夢の半年を終え、僕は新たな高校生活をスタートすることになる。遠く離れた県にある全寮制の高校だったので、地元と自分に別れを告げて夜行バスに乗り込んだ。

入学して1週間もしないうちに自分の愚かさを悟った。僕は夢を見ていたのだ。そこにいたのは僕の知らない世界の住人達。武勇伝を得意げに語る人、金ですべてを解決できる人、いじめられっこ。中退者だけの学校だ、想像していなかった僕がバカだった。

映画を見たりするだけの授業にも辟易した。出席さえすれば卒業できるのである。わずかにできた友達もすぐに辞めていく。土下座までして入学させてもらった僕には、もう行くところはなかった。「僕は何のためにこんなところまできたのだろう」諦めと虚無感により悪化する、死に至る病。

寮生活というものは残酷である。孤独から開放されたいのに、孤独を欲する矛盾した世界なのだ。日常茶飯事の暴力や盗難、人に言えないようなこともたくさん経験した。気が狂わないように、毎日空想の世界に逃げていた気がする。

麻薬や暴力の実態が新聞に載ったので、卒業まであと数ヶ月というときにそれを口実に親と話し合った。どうしてもこんなところを卒業したくなかったのだ。そして、勘当のようなかたちで二度目の退学をする。お父さん、お母さんごめんなさい。僕はどうしようもないバカでした。

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死に至る病②

親はいつだって正しい。「敷かれたレールに乗っていれば楽だろ。馬鹿なことはするな」学校を辞めたいと言ったら返ってきた言葉だ。自慢のクラスから退学者を出したくない先生は、気持ち悪いくらいに優しくなった。ボーっと音楽を聴き、好きな本を読むだけで日々が過ぎていく。

そんなある日、三田誠広の「高校時代」を読んで、はっきりと退学の決心をした。たった1冊の本で僕の人生は変わったんだ。

話し合いによる話し合い。家出もしたけどダメだった。辞めたい理由すらうまく説明できない僕に、辞めた後の計画なんて説明できるはずもなかったのだ。何日も部屋に閉じこもり、学校にもたまにしか行かなくなった。

本当に人生は面白いもので、新聞の記事で中退者だけが通える高校があることを偶然知った。パンフレットを請求してみると、そこには自分でカリキュラムを組んでの選択授業や、校則がないなどの特徴が書いてあった。「これだ!」ここなら好きな勉強ができるし、同じような仲間がいるはずだ。親にそこの学校の素晴らしさを延々と説明して、辞めることを土下座してお願いしたらわかってもらえた。

学校の入学までに半年近く時間があったので、僕はアルバイトをすることにしたのだけど、なかなか雇ってくれるところはなく、仕方がないので怪しい人材派遣会社で働くことにした。

会社に行くと、ソファに座っていたブラジル人とおじちゃんを指差して「どっちか選べ」と社長が言う。僕はわけもわからずにおじちゃんを選んだ。どうやらこのおじちゃんと共同生活をしながら仕事場にも一緒に通うみたいで、いまからすぐに引越しをしろと指示される。引越しは事務所の人が手伝ってくれたけれど、急だったので親に一言も言えずに出て行ってしまった。

家から車で1時間くらいのところに新天地のボロアパートはあった。寂しさから帰りたくなったけれど、今日からは一人で生きていくんだと心に決めて、その日僕は友達の写真や電話帳を燃やした。

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死に至る病①

1日中スーパーカーを聴いていたりすると、なかったことにしていた10代の記憶が断片的にフラッシュバックすることがある。そうだ、僕はバカな理由で高校を辞めたんだった。

中学生だった僕は、地元の高校へ行くのは中学の延長でしかないと考え、隣町の高校に入学した。選択したクラスは所謂進学クラスで、休み時間にも必死で勉強をしているようなクラスだった。

ロボットみたいな奴らと無益な時間を過ごし、地元の友達とは疎遠になっていく。後戻りできない現実と、何もヴィジョンがない自分への焦りと苛立ち。僕はすぐにスチューデント・アパシーになった。

強烈な孤独と失望を感じながら過ごす無為な日々。そんなときにキルケゴールに出会い実在主義を知った。「私に本当に欠けているものは、私は何をなすべきかということについて、私自身よくわかっていないということだ。私自身の使命が何であるかを理解することこそが需要なのだ。私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、そのために死ねるようなイデーを見い出すことが必要なのだ。さあサイコロは投げられた。私はルビコン河を渡るのだ。きっとこの道は私を闘争へと導くだろう。しかし私は逃げはしない」彼の言葉である。そのときの僕を誘惑するには、これ以上ない魔法だった。哲学に目覚めた僕は、形而上学だのアウフヘーベンだのというわけのわからぬ言葉を覚えて、今では1分もしないうちに閉じるであろう埴谷雄高の本などをむさぼるように読んだ。学校の授業では味わえない面白さがあったのだ。

哲学を知れば知るほど高校に通うことが苦痛になり、孤独感はますます募っていった。わかってくれる人が欲しかったのかもしれない。だから、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」や、「デミアン」には凄い共感した。でも、僕には疑問に答えてくれるデミアンはいないし、女の子と付き合ってもエヴァ夫人のように導いてくれる人はいない。「死に至る病とは絶望のことである」キルケゴールの言葉がわかった気がした。

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2005年9月14日 (水)

古いおじいちゃん

小学生時代の連休は、ほとんどおじいちゃんの家に泊まってクワガタを捕まえたり川で遊んだりしていた。

僕の家系は長生きらしく、おじいちゃんとおばあちゃんはもちろんのこと、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんもいたので、区別するために「古いおじいちゃん」「古いおばあちゃん」と呼んでいた。

古いおじいちゃんは新聞と相撲中継が大好きだったので、夕刊が届いたり相撲が始る夕方は全然かまってくれず、僕は外で遊んで帰ってきたら晩ご飯までお昼寝をすることにしていた。

ある日、眠ったふりをして古いおじいちゃんを眺めていたら、ひょうたん型の入れ物から耳クソを取り出し火を点けて体に乗せていた。気になったのでご飯の時に「何をしていたの?」と聞くと、古いおじいちゃんは「あれはお灸といって、大人のお薬だよ」と教えてくれた。

僕はその日から、お母さんに耳ほりをしてもらう時には「大きな耳クソがとれたら渡して」と言って、空き箱に耳クソを集めることにした。

2年程それを集めた僕は、古いおじいちゃんの誕生日に、「これからも長生きしてね」と言って満面の笑みで大量の耳クソをプレゼントしたんだ。

耳クソではなくて、もぐさを燃やすのがお灸だと知った時、僕は大人になった。

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2005年9月 4日 (日)

おにぎりとタバコと涙の味

夏休みに入った僕は、学校のある九州から静岡に帰る予定でいたのだけれど、帰郷の前日に帰り賃の入った封筒を盗まれてしまう。久しぶりに実家で堕落した生活を過ごしたかったのに、ウンコ野郎が。財布にはちょっとしかないし、自力で帰ることは絶望的だった。

僕はどうしても帰りたいという気持ちと、お金を取られたことでの「どうなってもいいや」という気持ちから、人生で初のヒッチハイクに挑戦することにした。

高速道路から長距離のトラックに乗させてもらえれば、きっとうまくいく。なんだか楽しい気分になってきたじゃないか。しかし、高速道路まで行かないとどうしようもない。タクシーを使おうか。いや、せっかくだからまずはヒッチハイクに慣れておこう。そう思って僕は通り過ぎる車に必死で手を上げた。

なかなかどうして、止まってくれる車などいやしない。なんだよ、出足からこれか。ちょっと焦ってきた僕は、100万ドルの笑顔作戦に移行するか迷っていた。と、そこへ1台の車が止まり声をかけてくる。助かったぜ。しかし、ちょっと危険な香りがする運転手と同乗者。でも、自分から止めておいて「やっぱりなんでもないです」はまずいと思い、びびりながらも乗せてもらうことにした。

運転手「なに?ヒッチハイクしてんの?」僕「ええ、高速道路まで行きたいんです」運転手「いいよー」。とてもいい人達じゃないか、疑ってしまった自分が恥ずかしい。ヒッチハイクっていうのは出会いあり、善意ありの素敵な旅なんだよ。まるで映画の主人公だぜ。そんなのぼせ上がっている僕に信じられない言葉が、「で、いくらもってんの?」。えええぇぇ、もってないからヒッチハイクしてんだろ。僕「もってないです」運転手「お前死ぬか?」僕「・・・」。この時の車内の空気は、今まで体験した中でもトップクラスの重さだった。

楽しい無言のドライブを終え、降ろされたのはなんだか高速道路とは程遠い、田舎の農道だった。本当に僕が貧乏なのを確かめると、はした金はもちろんのこと、タバコや時計といった小物から着替えの入ったバックまで、ありとあらゆるものを掻っ攫っていく。あ、「とるだけじゃかわいそうだから、なんかくれてやらんとな」と言ってゲンコツを貰いました。頭悪そうなのになかなか面白いことを言う奴だ。

あぜ道を泣きながら歩いている僕は、若者とは思えないほどの哀愁を醸し出していたことだろう。軽トラにのったおじいちゃんがたまたま通りかかったので、事情を話すと家に招待してくれておにぎりを食べさせてくれた。このときのおにぎりはホントにうまかったなぁ。それで、タバコも吸わせてくれたんだけど、うわあああぁぁん。

映画「千と千尋の神隠し」で、千尋が泣きながらおにぎりを食べるシーンがあるんだけど、僕はストーリーと関係ないことを思い出してしまって泣きそうになる。

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2005年9月 2日 (金)

裏目って涙目

誰にも、ふと思い出しては逃げ出したくなるような恥ずかしい過去があると思う。特に恋系の過去は危険だ。恋は正常な判断を鈍らすので、恥ずかしいことをむしろかっこいいことをしていると勘違いしやすい。

学生時代に惚れこんでいた彼女がいて、3月頃からわけあって僕は冷たい態度をとるようになった。電話があればそっけない会話をしたし、忙しいといっては遊ぶ時間を減らした。

4月1日、僕は思わせぶりな口調で彼女を公園に呼び出した。僕「・・・」彼女「どうしたの?」僕「・・・」彼女「・・・」僕「別れようと思うんだ」

僕の妄想では、ここで彼女は驚いて「なんで?そんなの絶対ヤダ」と言って、ウルウル状態になるはずだった。すかさず僕は「バカだなぁ、今日はエイプリルフールだよ」と言いながら、バイトをして買ったネックレスを渡す。そして2人は見詰め合い・・・、な予定だった。

しかし実際は、彼女「うん、私もそのほうがいいと思ってた」僕「え?ちょ、今日はエイp」彼女「最近冷たかったから好きな人できたし、ちょうどよかったのかも」僕「あっ、とっ、ぷ」、終了。

その日の僕は、妹にネックレスをプレゼントしちゃうくらいの、妹思いの兄貴になったよ。

ホント、思い返すだけでも恥ずかしい暴走だ。間違いすぎ。

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