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2005年9月30日 (金)

現代最高の戦場・報道カメラマン

JN0012SUINGA写真という表現方法は、最もセンスを問われる表現方法かもしれない。受けて側の解釈にあまり万別がないので、他の表現方法に比べてごまかしがきかないからだ。だから写真で重要なのは、なにをどう撮るかではなくて、なにをどこでいつ撮るかである。極論を言えば、タイミングさえよければ誰でも一流の作品を完成させることができると思う。絵や音楽ではありえないことが、写真ではありえてしまうのだ。

男が女を殴っている一場面があったとしよう。絵ならば男を屈強な大男にして、女を少女にすることもできるだろう。少女の顔に涙を加えてもいい。音楽ならば激烈な音で暴力的にしてもいいし、悲しいメロディで悲劇を訴えることも出来る。たとえ男が女を軽く叩いていたとしても、表現者のイメージでなんとでもなってしまうのだ。しかし、写真はそこにある現実を切り取るしかない。

生まれてから一度も笑ったことがない老人がいたとしよう。その老人が人生で初めて笑った瞬間に、その笑顔を捉えることができなければ写真家は終わりだ。絵や小説のようにイメージで笑顔を表現することができないからである。

イメージに唯一勝るものは、なかなか見ることのできない真実を捉えた瞬間だ。そのことをジェームズ・ナクトウェイはよくわかっている。誰もが見ようと思えば見れる真実の瞬間。しかし、実際には見ることのない戦争や公害といった真実の瞬間。そんな瞬間を捉えるために、彼は問題があるところにあえて赴く。「より危険なところに、より近く」彼のスタンスはこうだ。だから、彼は世界で一番真実を知っている男かもしれない。 寡黙に何かを見つめるその佇まいは、悟りを開いた人のようでもある。

「写真家として最も辛いのは、他の誰かの悲劇で得をしていると感じることだ。この考えは常に私につきまとう。個人的な野心を優先すれば、魂を売り渡すことになる。人を思いやれば人から受け入れられる。その心があれば私は私を受け入れられる」
                       -ジェームズ・ナクトウェイ-

PHOTOGRAPHY

戦場のフォトグラファー予告編

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2005年9月28日 (水)

泣いてしまうゲーム

image4189548ギャラリーを見ていると時間を忘れてしまうサイト花蟲 サイト内にあるクリック形式の謎解きポックのともだちは、エンディングで号泣すること必至の内容です。

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魔法を信じ続けるかい?

中村一義という人物がよくわかる曲は、『魔法を信じ続けるかい?』だと思う。

「現実的な見方をもっても夢は見れる。」ただの夢想家ではないリアルとしての魔法。新しいタイプの革命家だ。

「同情の群れは、とうに無い。」絶望の果てに覚悟した、一人でも行くんだという決意。

「無力だった日は充電していただけ。」どうしようもなく無力でダメだったからこそ、『金字塔』という作品を作って自己セラピーをしなければいけなかったんだと思う。苦しんだ時期を乗り越えた中村一義は、アルバムの最後でこう叫ぶ「僕の人生は、バラ色に変わったーっ!!」

「僕、大好きだよ。みんな。本当のこと言えたんで、気分いいなぁ。」この強さはなんなのか。相手の気持ちなんか無視してこんなことを言える人は、天才かバカだ。個にさえも「大好きだよ」なんてなかなか言えないのに、全体に向かって「大好きだよ」と歌える天才。本当に強い。

「君の心の“暇”でさ、魔法は創られる。そこには、あるんだ。まぁ、理想郷までじゃないが」僕は、この「理想郷」と言い切ってしまわない、わかってる感が好きだ。

この歌を何年後に聴けば夢がわかるのだろう。

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判決の日

今日は北九州連続殺人事件の判決日です。詳しく報道されなかったような気がするこの事件だけど、朝日読売の特集記事を読むと、あまりの異常さに報道を控えたとしてもおかしくはないなと思った。

栃木リンチ殺人事件もそうだったけど、後味の悪い残酷な事件を知るたびに、生きていてはいけないクズがいることを痛感する。求刑どおりの死刑判決を望みます。

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2005年9月27日 (火)

写真で見る世界の石

01easter1世界の石 石にはなんともいえない魅力がありますね。アンコール・ワットとボロブドゥールはいつか生で見たい。

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2005年9月26日 (月)

素晴らしきこの世界に真心を

「どこから何やらカレーのにおい 僕もこれから帰るんだよ 湯気がたってる暖かいうち/よぼよぼばあさんひい孫あやす どうかみなさんお幸せに 車掌さん天国まで連れてっておくれ」真心が歌うこんな『素晴らしきこの世界』が永遠に続けばいいのにと思う。

「民族紛争 果てしない仕返し/飢えた子供の目つきは鋭く 偽善者と呼ばれて自殺する男達」間奏のゆったりとしたハーモニカの後に歌われるのは、一転してこんな世界だ。「笑った顔から怒った顔へ 感情の津波が波止場をおそう」のである。

ニュースを聞くたびにテロが起きている。穏やかでいたいのに定期的にそれを破壊する暴力。だからといって僕達は諦めてはいけない。諦めたら奴らの思う壺だから。怒ってもいいし、逆に同情してもいい。「オレはいつでも ムキムキムキムキになる くだらないことでもムキムキムキムキになる 口から泡とばし ムキムキムキムキになる 大事なことなおさら ムキムキムキムキ」そう、ムキになることが素晴らしい世界にするための方法なのだ。

「さてと僕は何をしようか 少なくとも校舎の窓は割らないよ/ノードラッグ ノーアルコールで爆発しよう」真心の『素晴らしきこの世界』は、大人の反抗の歌なんだと思う。

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暇人なのか、神なのか

漫画5万冊読み放題のサイト 人工知能研究所に続いて、こちらも再開していました。

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2005年9月24日 (土)

人工知能研究所

リニューアルの為に閉鎖していた人工知能研究所が再開していました。かなりの衝撃を受けたサイトですので、みなさんも利用してみてください。

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2005年9月22日 (木)

明かりはあるのか

「この国は終わっている」とか、「病んでるよ」等とテレビを見ながらそういうことを言える日本はまだいいと思う。あまりに悲惨すぎてなかったことにしたい国、悲惨なのになかったことになっている国、とにかく本当に終わっている国の話をしたい。

「シエラレオネ」という終わっている国がある。知らない人がいたら、終わっている国とはそういうことだ。内戦の影響で、この国の平均寿命は40歳もなくて、乳児は1年以内に2割弱が死に、5年以内の死亡率だと3割を超えてしまう。生き残った3分の2も、男のほとんどは人を殺すためか殺されるために生まれ、女のほとんどはレイプされるために生まれてきていたのだ。

反政府軍の蛮行のせいで、この国の何千人という人達には手足がない。資源のダイアモンドを採らせなくして、政府の経済を低下させるためと、少年兵に親や隣人の手足を切り落とさせて、軍隊から帰る場所をなくさせるめだ。

誘拐されて兵士になり、親を殺しにいった少年。薬を打たされて殺人マシーンになり、人肉を食ったり赤ん坊をレイプしていた少年。少年も被害者も、PTSDやトラウマになっただのと訴えることもできない。

お金のために自分の子供を人身売買してしまう親もいる。さらにそれを買った小金持ちは、その子供の手足を切り落として物乞いをさせるのだ。ユニセフが手足のない人達に支援金を出すと言うと、さらに手足のない人達が増えるという不幸のループ。

本当に終わっている国というのは、こういうニュースさえも世界に流れない国だと思う。シエラレオネはあまりに悲惨すぎて、わずかながらも世界に興味を持たれた。手足を切り取るというセンセーショナルな事件がなかったらどうだったのか。ダイアモンドの資源がなかったらどうだったのか。

イランのように石油資源もない貧しすぎる国、アフガニスタンのことを考えてしまう。世界はいつまで彼らに興味を持っていてくれるのだろうか。

僕達がテロをやるのと、「終わっている」彼らがテロをやるのとでは、意味合いが全然違うのかもしれない。絶対に許されないことだけど、彼らはいつも許されていないのだ。

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2005年9月21日 (水)

忘れはしないぞ

050921-0101

100sライブ「The Tour of OZ#」を、Zepp Nagoyaで体験してきました。中村一義は最後に、「ありがとう、これしか言えないです」と言って帰っていったけど、うん、ホントに僕もそれしか言えないです、「ありがとう」。

毎日のように聴いている「OZ」だけど、今日はまた違った「OZ」が聴けたような気がする。ライブではメンバーそれぞれの楽器の音が、中村一義の「声」と同じ力を持っていると思う。中村一義が中心というよりも、ステージ全体から100sという光が届いてくるようだ。会場全体がこんなにも幸せのグルーヴで包まれるライブはなかなかない。

それにしても池田貴史を中心に、100sメンバーはみんなおもしろい人ばっかりだな。コメダ珈琲の話題の後の、会場全体が参加したコメダのセッションは最高でした。曲が終わった後の談笑もとても微笑ましい。和んでいる彼らを見ていると、オーディエンスに、「ごめん、ごめん、ほったらかしちゃって」なんて言う冗談が、あながち冗談ではないような気もする。みんな100sでいることが楽しくて仕方ないのだ。こんな素敵な輪だったら、中村一義が100sでやっていきたいわけだよ。詳しいライブの内容はツアー公式ブログで書かれると思うので、興味がある人はそちらも読んで欲しい。

中村一義は『魔法を信じ続けるかい?』の中で、「僕、大好きだよ。みんな。」と歌っている。素晴らしい音楽と人に包まれたZepp Nagoyaの会場で、僕も「僕、大好きだよ。みんな。」という気持ちになったけれど、明日も明後日も同じ気持ちでいられるだろうか。

中村一義を聴くと、その瞬間は誰のことでも愛せてしまう。だけど、現実の世界に戻ると嫌なことばかりで逃げ出したくなる。本当ならば中村一義が歌う世界に行きたいのに、素晴らしすぎて弱い僕はくじけてしまうのだ。でも、今日のライブを体験して、やっぱり音楽を聴いて優しくなったつもりになっているだけではダメだと思ったよ。中村一義のように強くはないので少しずつだけど、それでも確実に進んで行こうと決めました。「そこに愛が待つゆえに」。そんな今の気持ちを忘れはしないぞ。

   あぁ。「忘れはしない。」を、
   さぁ。忘れないぞ。

今日は「いきるもの」を聴きながら笑顔で寝れそうです。

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2005年9月20日 (火)

運命

Mogwai「Hunted By A Freak」PV 僕たちは、落ちていく中で抱きしめ合うことしかできないのか。

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2005年9月19日 (月)

綺麗な写真がいっぱい

crw_9818sDon Ellis Photography 時間を忘れて見入ってしまいます。

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人にやさしく

僕は、自分の信じているものを興味がない人に押し付けなければ、少しは世界が平和になると思っている。

例えば、僕は音楽が特別に好きだけど、洋楽好きの人によくいる選民主義的な思考が嫌いだ。「本物を聴けよ」とか、「売れ線なんか聴くなよ」等とまったくの素人にダメだしをする人を見ると悲しくなってくる。音楽が好きな人同士で「もっといいバンドがいるよ」とか、「これ聴いてみなよ」等と言い合うのはいいけれど、ただ流行っているから聴いているだけの人に「流行ばっかり聴いているからダメ」なんて思うのは勘違いもいいところだ。

ほとんどの人は、特別に好きでもないものに本物なんて求めていないと思う。「本物を聴け」と言う人が、いつも本物の食事をしているわけではないし、いつも最高の服装をしているわけでもない。あれもこれも興味を持って時間を費やすことが出来ないから、企業やメディアが勧めている商品や売れている商品を買うことはとても自然だし、それがマーケティングというものだ。それを「もっとましなものを食べろ」とか、「もっとセンスのある服を着ろ」なんて言われたらどうだろうか。ベストセラーになった本を読んでいる人に、「あんなので感動してる人はバカだ」と言うのではなく、「マーケティングが上手かったんだなぁ」と言えるくらいのゆとりが欲しい。

人は、自分が信じているものを他人にも勧めたくなるものだけど、興味がない人にまで押し付けてしまったら迷惑である。宗教でも、趣味でも、感情でも、多少の一方通行が許されるのは、わかり合える人同士だけなのだ。

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点と点で線になる

TOWA TEI「MILKYWAY」PV あなたと僕で何になるのだろうか。

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2005年9月18日 (日)

天才とは

ブルーハーツが残していった僅かな火種を、中村一義とバンプ・オブ・チキンだけが炎にして僕らを包んでいる。「愚直の美」を歌える天才だ。

そもそも、何かを表現するという行為は恥ずかしいものである。さらに、わかりやすい言葉で表現するとなると、それが正論であればあるほど恥ずかしい。あたりまえすぎて、寒い奴と誤解されてしまうからだ。だから、「愚直の美」を書く怖さをわかっている七尾旅人のような天才は、抽象的な詩を書くことで誤解をフィルターにかけている。バンプの藤原は、わかっていながら物語にすることで「愚直の美」を書くことに成功した。さらに天才である。中村一義は、誰よりもわかっているが故にそのまま詩を書くことを選んだ。その歌詞は、今までに見たこともない奇跡の言葉だった。

あたりまえのことを心の奥底まで伝えることが出来る人は、本当に物わかりがいい人だと思う。ポエマーと呼ばれる人達の多くが寒いと言われてしまうのは、愚直な表現の怖さをわかっていないからではないだろうか。自分の世界観を誤魔化さないで吐くことの恥ずかしさ、その事実ををわかった上で、「でも伝えなきゃ」という思いを表現出来たときに、「愚直の美」は完成すると信じている。

「愚直の美」の怖さをわかっていながらも、逃げることなく書く勇気と強さ。そこに僕らは憧れる。ブルーハーツのヒロトは、「憧れられる存在として機能する自信がない」といってサヨナラしてしまった。ブルーハーツでさえも耐えられなかった重圧に、中村一義は正面から挑戦している。最高だ。

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2005年9月17日 (土)

僕が宗教を信じない理由

生まれてすぐに消えてしまう命がある。その命をぞんざいに扱う宗教家の非礼が許せない。

宗教の勧誘が来ると大体同じことを言う。「不幸な原因は前世の影響です」、「信じれば救われる」、「どんなことにも神の意思があるのです」、こんな感じだ。

信じる時間すら与えられず、不幸が何かもわからずに死んでいくことにどんな意味があるのか。神を肯定するための欺瞞としか思えない。もしも救われるものがあるとしたら、真っ先に救われるべきものはそんな命とその親の悲しみなのに、宗教家というのはこういう悲しみに対して本当に無神経だと思う。こんなことを勧誘の脅しに使うなんてあきれ果てる。

「神様なんていないから宗教がある」僕が10代の頃に悟った揺るがない真理。こんな簡単なことを人類は何年も論争している気がする。

盲目的に宗教を信じている人よりも、物わかりのいい人に惹かれる。なおかつ現実的なだけではなく、「ロマンとしての神様」が頭の中にいる人間が好きだ。

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2005年9月16日 (金)

自由

究極的な極論を言ってしまうと、人はみな自分のやりたいことをやって生きているのではないか。ナポレオンも、マザー・テレサも、宮崎勤も、名も知らないホームレスのおじさんも同じように。

他人に尽くして生涯を終えることが、名声のためなのか、自己満足なのか、思いやりなのか、それは本人でしかわからないことだけど、間違いなくそれがやりたいことなのだろう。

人殺しも盗人も、それがやりたいことだからやったのだろう。刑務所に入ろうが死刑になろうが、やりたいことをやった結果なのだから黙って刑を受けてもらいたい。後になってグダグダ言うのは知性の欠片もなくて恥ずかしい。

凄いムカつく事実だけど、捕まる覚悟を持って罪を犯されたらどうしようもない。目的を達成するほうが刑務所にいくことよりも重要だと決意されたらどうすることもできないのだ。だから刑罰はもっと厳しくするべきだと思う。

よく、「やりたいことがやれていない」とか、「思ったような人生が送れていない」とか言う人がいるけれど、そんなことはないはずである。学校を辞めたければ辞めればいいし、勉強がしたければがんばればいい。お金が欲しければ、盗むか立派な人になって稼げばいい。盗みをして犯罪者になるのが嫌ならば、犯罪者にならないほうが生きたい道なのだ。仕事をするよりも怠けていたければ、怠けるほうがやりたいことなんだろう。

他人に自分の人生をめちゃめちゃにされない限り、人生とはやりたいことをやってきた結果なのだから、今の状況が最高の生き方だと思いたい。そう思うと楽だ。

望むように生きていない人がいるのならば、それは理不尽な囚われの人だけだと思う。例えばアウンサンスーチーや、チベットの人達なんかがそうだ。そういう人を除けば、人助けをしている人も、万引きをしている人も、ブログを書いている僕も、今一番やりたいことをやれていると思う。一番やりたいことをやれて生きてるんだから、「あれもやれていない、これもやれていない」などと言ってもしょうがない。やりたいと思った時にやらないってことは、たいしてやりたいことじゃないんだよ。

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2005年9月15日 (木)

ストロークス

image数年前に「ロックンロール・リバイバル」とかいう吐き気のするくだらないムーブメントがあった。くだらないといったけれど、ストロークスやリバティーンズは大好きだ。何が許せなかったのかというと、レーベルや音楽誌の、「ロックの救世主登場!」とか、「ロックが生き返った!」等という物言いだった。つまり、ポスト・ロックや音響派がロックを殺したというわけだ。

「何もない世代の象徴」として持ち上げられていたレディオヘッドやスーパーカーが、いまでは「ロックをつまらなくしたバンド」呼ばわりである。ちょっと待ってくれよ、殺してるのはあんたらじゃないのかと言いたい。ブリットポップやミクスチャーのときと同じような気がする。多くのフォロワーが現れたら飽きてさよならするのはいいんだけれど、何もジャンルごとつまらないと断罪しなくてもいいのではないか。いい音楽はただいいんであって、何かを賞賛する時にわざわざ現状のものを批判しなくてもいいと思うんだ。タトゥーがそんなによかったなら最後までプッシュしてればいいじゃないかってこと。

前置きが長くなってしまったが、そんなブームのきっかけとして登場したストロークスの紹介をしたい。所謂ガレージ・ロックだが、もうばりばりにかっこいいのだ。気だるい声でゆるいロックを鳴らしてるだけなんだけど、それが本当に気持ちいい。クールって言葉が彼らほど似合うバンドはいないと断言できる。

ストロークスを聴いていると、マーシーの言葉を思い出す。

このバカをちょっと見てみろ 俺は楽しけりゃいいんだ
ロックがもう死んだんなら そりゃあロックの勝ってだろ
どうでもいいじゃないか そんな事はどうでも

「Last Nite」PV

「Hard to Explain」PV

「Someday」PV

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2005年9月14日 (水)

その目に見えたもの

innocent_X

フランシス・ベーコンはとても優しい人だったんだと思う。僕はずっと誤解していた。てっきり彼自身の闇を描いていると思っていたけれど、実際は暴力的な世界が嫌いな、他人が怖くて仕方がないとても優しい人だったのだ。

ほとんどの人は、人間の醜さや現実に起きている事件の恐怖を隠して生きている。彼にはそれがはっきりと見えてしまってうまく隠すことが出来ないから、あんなにも歪で不安なイメージを描くしかなかったのだろう。

Francis Bacon Image Gallery  「どんなに着飾ろうとも、私にはこう見える」絵がそう言っているような気がした。

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古いおじいちゃん

小学生時代の連休は、ほとんどおじいちゃんの家に泊まってクワガタを捕まえたり川で遊んだりしていた。

僕の家系は長生きらしく、おじいちゃんとおばあちゃんはもちろんのこと、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんもいたので、区別するために「古いおじいちゃん」「古いおばあちゃん」と呼んでいた。

古いおじいちゃんは新聞と相撲中継が大好きだったので、夕刊が届いたり相撲が始る夕方は全然かまってくれず、僕は外で遊んで帰ってきたら晩ご飯までお昼寝をすることにしていた。

ある日、眠ったふりをして古いおじいちゃんを眺めていたら、ひょうたん型の入れ物から耳クソを取り出し火を点けて体に乗せていた。気になったのでご飯の時に「何をしていたの?」と聞くと、古いおじいちゃんは「あれはお灸といって、大人のお薬だよ」と教えてくれた。

僕はその日から、お母さんに耳ほりをしてもらう時には「大きな耳クソがとれたら渡して」と言って、空き箱に耳クソを集めることにした。

2年程それを集めた僕は、古いおじいちゃんの誕生日に、「これからも長生きしてね」と言って満面の笑みで大量の耳クソをプレゼントしたんだ。

耳クソではなくて、もぐさを燃やすのがお灸だと知った時、僕は大人になった。

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2005年9月13日 (火)

遺言

芸能・音楽・スポーツ ニュース速報+@2ch掲示板にこんなスレッドが建った。

「好きなサッカーで 世界に胸を張れる 選手になって下さい」元グランパス・福田健二が思い返す「遺言」

1 :物質混入φ ★ :2005/09/12(月) 23:01:50 ID:???0
Jリーグの名古屋、FC東京、仙台でプレー後、南米に活躍の場を求め、現在はメキシコ・イラプアトのエースストライカー。FW・福田健二選手。彼のチャレンジ精神の裏にある、余りに苛酷な過去が、スポーツ雑誌「Number」誌上の小宮良之氏の記事によって明らかとなった────。


彼は今もその日の始まりをよく覚えている。当時、小学5年生だった彼は朝から違和感を感じていた。いつもは窓を開けて手を振ることなどない母親が、自分の姿が見えなくなるまで手を振っている。胸騒ぎを覚えたが、それは少年特有の恥ずかしさにすり替わった。

「母ちゃん、もういいよ。恥ずかしいから」

2限目だった。彼は「お母さんが怪我をした」と校長室に呼び出される。何が起きたのかは分からなかったが、恐ろしいことが起きた気がした。

母はビルの屋上に上がり、自らガソリンをかぶって火を放ち、そのまま飛び降りた。少年は同じ言葉を繰り返していた。「母ちゃんに会わせろ」と。

「親父とは離婚していて…。お金には困ってました。兄貴が貯めていたお金を母ちゃんが黙って生活費に充てて。二人は大喧嘩です。けど、たった1万円ですよ。愛があればお金なんていらない、という人もいますけど、それは本当の貧乏を知らない人が言うことですよ」

福田健二宛に残された遺書には、たった三行だけ記されていた。

「好きなサッカーで
 世界に胸を張れる
 選手になって下さい」

3 :物質混入φ ★ :2005/09/12(月) 23:02:16 ID:???0
福田は声を絞り出す。
「兄貴はこれからのこととか、大学を出て、とか原稿用紙3枚も書かれていたのに、なんで自分は3行、しかもサッカーのことだけなのか、と悩みましたね。確かに、サッカーの練習だけは一度も休まなかったですけど。」

その日から、彼はサッカーを通じて人生を自問自答しながら歩んでいくことになる。朝起きてから夜寝るまで、彼はサッカーを意識して生活する。そうでないと、自分がダメになる気がするのだった。

「母ちゃんが死んだときは、施設に入れられそうになってね。結局、千葉にいたオヤジに引き取られるんですけど…。」

しかし引っ越した千葉での生活は、辛酸をなめ尽くすようなものだった。
「オヤジには『サッカーは金がかかるから辞めろ』と言われました。『勉強も役に立たない』と教科書を捨てられて。中学の時は荒れてたし、先輩から『調子に乗っている』としめられました。一匹狼みたいな感じで突っ張っていて、その筋の人に入らないか、とも誘われました。俺が信じられるのは兄貴だけだった」

中2になると、福田は練習に行けない日が続いた。練習場に通うための、大人800円の電車賃が捻出できなかったからだ。全日本クラブユース出場も、遠征費が払えないからと辞退。それでも中3の冬の大会では、チームメイトだった広山が福田の父に懇願し、足りない旅費はチームのオーナーが肩代わりしてくれたことで彼はほぼ1年ぶりのピッチに立つことが出来た。そこで福田はブランクを感じさせずにゴールを量産し、チームを全国3位に導く。

7 :物質混入φ ★ :2005/09/12(月) 23:02:28 ID:???0
彼はある決意を導き、中学時代を終えようとしていた。福田は真剣な表情でブラジル人少年達が語る言葉を聞き、瞠目する思いだった。

「大きくなったら、プロサッカー選手になって、たくさんお金を稼いで、お母さんに大きな家を買ってあげたい」

自分がプロ選手になっていれば、お母さんを楽にさせてあげられていただろうにと、彼は想像した。当時、日本にはまだJリーグというプロリーグが存在していなかった。だか福田がブラジルに自分が生きる場所を求めたのは、飽食の日本に溶け込めない自分の存在を感じていたからだ。貧しさから抜け出すために懸命に生きようとするブラジル人に、彼は共感を覚えずにはいられなかった。

中学校の担任との進路相談で、彼は真剣な表情で言っている。「卒業したら、ブラジルに行きます」先生は呆けた顔をしていたが、彼は大真面目だった。


2005年8月20日、イラプアトの第3節はホームゲームだった。1-0という場面、彼は任されたPKを外してしまう。
「サポーターにはいろいろ言われているでしょうね。FWは結局ゴールだから、ゴールしないと絶対に評価されない」
彼はこのままでは日本に帰れない、という切迫した心境でゴールを睨み続ける。そして何かあると最後に母がくれたメッセージを思い返している。

「好きなサッカーで
 世界に胸を張れる
 選手になって下さい」

(Number9月22日号より、一部を抜粋)

お母さんを怨んで堕落していくだけの人生でもおかしくないのに、とても立派な父親になっている福田はかっこいいな。

生い立ちを考慮して犯罪者が酌量されることがあるけれど、福田のように生い立ちに関係なく立派な生き方をしている人もいる。同時に、とても辛いことがあっても話しを聞いてもらえない人や、どんなことがあっても一度も荒れることはなかった人の存在も忘れないようにしたい。

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ソング・オブ・フリー

050913-2151僕「9月20日の中村一義のチケットを1枚ください」
数分後に店員さん「ちょっと取り扱いしていないようですねー」
僕「そんなはずはないと・・・」
店員さん「場所はわかりますか?」
僕「多分ゼップだったと思います」
さらに数分後に店員さん「日にちはあってますか?」
自信がなくなってきた僕「た、たしか・・・」
店員さんと一緒に雑誌のぴあから中村一義の名前を探すのだけど、何故か見つからない。心が折れそうになったときに気付いたんです。「あ、今は100sでした・・・」
ということでなんとかチケットを手に入れることが出来ました。

有名な自室「状況が裂いた部屋」から飛び出して、仲間と一緒に歌っていくことにした中村一義をはっきりと体験してきたいと思います。

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2005年9月12日 (月)

プラシーボ

4988006809482_m効果のない偽薬のことをプラシーボという。ロックとはまさにクソつまらない日常に作用するプラシーボである。気休めだからこそ僕らは薬を求め続けてしまうのだ。

そんな偽薬がバンド名のプラシーボ。彼らの音楽はインダストリアルもパンクも飲み込んだグラム・ロックだ。よりダークでグラマラスにしたデヴィット・ボウイに、モダンなロックをやらせた感じといったらわかってもらえるだろうか。

ここまでかっこいい音を鳴らすバンドもなかなかいないので、もっと日本で評価されてもいいと思う。

「THE BITTER END」PV

「THIS PICTUR」PV

「ENGLISH SUMMER RAIN」PV

「TWENTY YEARS」PV

「EVERY YOU EVERY ME」PV

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君に何を言おう

僕は空想するのが大好きだ。自分だけのやさしい世界。誰にも怒られないし、誰にもバカにされないから好きだ。毎日毎日、自分やあの子や世界のことを考えては興奮したり死にたくなったりしている。

そんな空想の中でも特に好きなものがあって、中学生の時から考えていることがある。それは何かというと、あと一言だけ言葉を吐いたらもう二度と話せなくなってしまうとして、そうなったら誰に何と言おうかということ。

両親?好きな人?世界に向かって?個に向けて言葉を吐いて、言葉の伝わる重みをとるのか、それとも全体に向けて言葉を吐いて、言葉の伝わる量をとるのか。

ありがとう?ごめんなさい?愛してる?感謝なのか懺悔なのか愛の言葉なのか。僕はどんな気持ちを伝えたいのだろう。

あぁ、誰に何を言おう。このなんともいえない快感をわかってもらえるだろうか。

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幸せとはなんでしょう

KASHMIR「Rocket Brothers」PV 僕たちは、いつも大事なことに気付くのが遅すぎる。

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2005年9月11日 (日)

Roll Over Monalisa

vtl_27彼女の「美」には、モナリザでも敵わない気がする。特に1950年代中頃の美しさは奇跡だと思う。

Photo Gallery

貴重な写真や動画が豊富な素晴らしいサイト

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100年カレンダー

素敵なサイトを見つけたので紹介したいのだけど、その前にこの記事を読んで欲しい。100年カレンダーを見ると不安になる人が多いという。明日さえわからないのに、数年後、数十年後なんてわかるわけがない。でも、100年カレンダーを見るとそれはすぐに来てしまうと感じるから不安になるのだろうか。

誕生日を入力してからOKボタンをクリックすると表示されますLoneliness of 100 years 「人生まだまだ」と思うのか、「こんなこんなところまで来てしまった」と思うのかは人それぞれですが、人生は曖昧模糊としているから楽しいのかもしれない。

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2005年9月 9日 (金)

ヤー・ヤー・ヤーズ

689

カレン・O嬢のあのエロさはなんなのか。セクシーともビッチとも違うエロス。いうならば不健康なエロさなのだ。

カレン・Oはアイドルみたいにかわいくは歌わない。そんな優等生的な美に、「だせーんだよ、お前ら」と吐き捨てるように歌う。あのリアルな声で。そこがかっこいいと思うんだ。

「Date With A Night」PV

「Y Control」PV

「Maps」PV

「Pin」PV

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子供なのか大人なのか

僕はタバコが嫌いだ。吸うと口の中が気持ち悪くなる。

僕はコーヒーが嫌いだ。飲むと頭が痛くなる。

でもね、この二つが出合うとミラクルがおきる。まるでヒロトとマーシーのような、モリッシーとジョニー・マーのような蜜月の関係。どっちかが欠けていてはダメなんだよ。二人が織り成すマジック!1+1=2じゃないんだ!うおおおぉぉ!死ねよ俺!

職場の地下にフランチャイズの喫茶店があって、ちょくちょく利用している。今日もお茶をしに入ったんだけど、会計を済ませてから灰皿がないことに気付く。店員「全席禁煙になりました」・・・・・。

ちょっと待ってくれ。ちょっと言いたい。いや、だいぶ言いたい。僕はコーヒーが嫌いなんですよ。タバコがないと飲めないんだってば。この店は新聞や雑誌も置いていないし、ソファも上等じゃないし、タバコを吸うために存在しているような店だったじゃん。コーヒーが嫌いな僕はどうやってくつろげばいいのですか。名古屋は路上喫煙できなくなったからこの店が繁盛していたのに、何か勘違いをしてしまったようだ。

このまま残して帰りたい。でも、嫌がらせと思われたくない。でもでも、コーヒーを飲むと頭が痛くなる。喫茶店に入ってコーヒーの前で申し訳なさそうにしているリーマンを見たことがあるだろうか。結局おかしな人と思われるのが嫌なので、無理して3分の1くらい飲んでから帰った僕は小心者です。

くつろぎに喫茶店に入ったのに、いろんな意味で胃を痛めてしまいました。

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2005年9月 8日 (木)

iPod nanoを買えない理由

050612-1653iPod nanoを買おうと思っているんだけど、悩んでいることが一つだけあって買えずにいる。

色は迷わずブラックに決めました。容量は2GBにするか4GBにするか迷ったけど、先のことを考えて4GBにしようと思います。では何を悩んでいるかと言いますと、iPod nanoを購入したら無料でレーザー刻印をしてくれるんだけど、「メッセージを何て入力しよう」なんて悩みだしたからもうダメだ。僕はこういうのに本当に弱い。熱いメッセージがいいのか、冗談ぽいメッセージがいいのか。自分の言葉がいいのか、有名人の言葉がいいのか。一度入力したら取り消しがきかないし、本当に悩んでしまいます。

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世界が一つになれない理由

名古屋のおいしい蕎麦屋をあまり知らないのだけど、栄にお気に入りの蕎麦屋があって、週に2、3回はここで食事をしている。

今日の昼食も、このお店で天ぷら蕎麦の大盛りを注文した。ここには定食というものがないので、蕎麦だけだと物足りないときには大盛りかおにぎりを頼むことにしている。で、行儀よく待ちながらセンスのよさと身分のよさの優劣について空想をしていると、後からおばさんが来店してきた。

このお店の席は、厨房側のカウンターと通路側のカウンターしかなく、僕は厨房側の席に座っていたのだけれど、何故か空いてる通路側ではなく隣に座ってくるおばさん。神聖なテリトリーを躊躇なく犯してくるおばさんには、僕の「独りにしてくれよオーラ」は効かないというのか。しかも、まるで知っていたかのように僕と同じ品を注文する抜け目のなさ。やるなこいつ。

まず僕のところに天ぷら蕎麦が届く。おばさんから熱い視線を感じるのは気のせいだろうか。程なくしておばさんのところにも天ぷら蕎麦が届いた。ここで僕が一番恐れていたことが現実となる。「ちょっとおおおおおお、明らかに私のほうが少ないじゃないのおおおおおお」おばさん発狂。

世界が絶対に一つになれない理由は、こういう人の存在だ。店員が「こちらのお客様は大盛りでございまして」と言っても「天ぷらの数が一緒だったらわかんないじゃない!どういう店なの!」と、吼える。この、絶対に非を認めない醜さといったら。しまいには「あなたもそう思うでしょ?」と僕に尋ねてくる。頼むから話しかけてくるなよ、飯がまずくなるだろ。

何故、つまらないことで怒鳴ったりするんだろう。バーゲンでレジが混雑していると怒鳴る人、天災や事故で電車が遅れているのに駅員を怒鳴りつける人。僕はこういう人間を見ると本当に逃げ出したくなる。そいつをたしなめたいとかではなく、僕が消え去りたい。もう仕事とかどうでもいいから、お家に帰って布団の中にうずくまっていたいのです。

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2005年9月 7日 (水)

書くことが大切

僕は空想するのが好きな寂しがり屋なので、記録しておきたいこと、伝えたいことが結構ある。でも、書きたい気持ちが強ければ強い内容ほど、逆に書けなくなってしまうことが多い。それは、頭の中で思っていることをそのまま文字に出来ないことのもどかしさからだと思う。

刺激を受けたらすぐに書いてみよう というエントリーを読んで、それはもったいないことだなと思った。いくら自分で面白いことを思いついたり、何かに刺激を受けたことへの意見があったとしても、それを書かなければまったく意味がない。記憶が薄れて忘れ去ってしまい、「あのとき書いとけばよかった」なんて後悔するくらいなら、完璧に伝わらなくてもとりあえず書いてしまうほうが絶対に有意義だ。

せっかくブログというものをやっているんだから、記録しておきたいこと、伝えたいことがあれば、頭の中で思った通りにうまく書けなくてもとりあえず記事にするようにしたい。僕が誰かに、誰かが誰かに、そして誰かからまた僕に、そんな素晴らしい刺激があるかもしれないから。

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やらない善よりやる偽善②

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昨日紹介した「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」を知らない人でも、「ウィ・アー・ザ・ワールド」は知っているんじゃないかな。

イギリスのトップ・ミュージシャンを集めたBAND AIDが「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」をリリースした翌年、今度はアメリカのトップ・ミュージシャンを集めたU.S.A For Africaが「ウィ・アー・ザ・ワールド」をリリースする。このイベントの大反響により、飢餓で苦しむ人達を救うためにさらに多くのトップ・ミュージシャンが集結して、ロンドン・ウェンブリー・アリーナと、フィラデルフィアJFKスタジアムで開催されたのがLIVE AIDである。

中学生のときに授業で「ウィ・アー・ザ・ワールド」のビデオを見たけれど、音楽にはこれっぽっちも興味がなかった子供の頃の僕でも、とびっきりの笑顔で歌うスティーヴィー・ワンダーにしびれたことは覚えている。

U.S.A For Africa「We Are The World」PV 今見てもマイケル・ジャクソンはかっこいいし、ブルース・スプリングスティーンは渋いし、スティーヴ・ペリーは歌が上手すぎる。シンディ・ローパーも元気がいいなぁ。そして、やっぱりスティーヴィー・ワンダーの笑顔は最高!

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2005年9月 6日 (火)

やらない善よりやる偽善①

Dscf0002去年の冬は20年ぶりの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」が発売で、今年は「ライブ8」が開催された。こういう大規模なチャリティ・イベントには外野からのいちゃもんはつきものなんだけど、「有名人が貧乏人からお金をかき集めているだけ」だの「青くさい」だのという意見には言っておきたいことがある。

他に有効なお金の集め方があるのなら代案を出してくれと、文句を言うなら同じ額のお金を集めてから言ってくれと言いたい。これだけの規模のイベントをやるのにどれだけの時間と知恵がつぎ込まれてるのかわかっているのだろうか。たとえ青くさかろうが、お涙頂戴のイベントをやったほうがお金は集まるってことを理解して欲しい。

「アフリカの問題なのに黒人が出演していない」とか言ってるアーティストには、だったら自分で集めて勝手にやってくれと言いたい。ボブ・ゲルドフは、そんなこと百も承知でやっているんだよ。とにかく第一はお金。はっきり言って「音楽が世界を救う」なんてのも幻想だ。いくら音楽がよくたってお金は集まらないからね。肝心なのは客寄せパンダの人気しだいと言っていい。その現実がばれないようにうまいこと演出しているから世界中の人達からお金が集まってくるのだ。そういうことを割り切って楽しむのが大人だと思う。もしくは幻想を楽しむ子供でもいいけど。

とにかく偽善であろうとなんだろうと、僕はチャリティでお金を集めることには大賛成だ。こういうイベントでないと実現しない夢の共演も見れるしね。ただし、ジュビリー2000やホワイトバンドの趣旨となっている、債権を無条件で放棄しろと要求したりする善意の強制には賛同しかねる。問題提起はとっても大切なことだけど、他人を思いやるというのは無理やりやらせるものではないと思う。

BAND AID 20「Do They Know It's Christmas?」PV 発売された時は20年前のほうがよかったとかいわれていたけど、Ash(ティム・ウィーラー)、Coldplay(クリス・マーティン)、The Darkness、ポール・マッカートニー、Radiohead(トム・ヨーク、ジョニー・グリーンウッド)、ロビー・ウィリアムス、Travis、U2(ボノ)、etc・・・僕はこの面子のほうが興奮する世代。

因みに、アートワークはあのダミアン・ハーストが担当したんだけど、案の定完成作品がアレすぎたので、かわいいトナカイのジャケットに変更されたという裏話があります。

追記
BAND AID「Do They Know It's Christmas?」PV 彼らはいつになったら贈り物をする側になれるのだろうか。

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